江川英龍公関連トピックス

江川文庫展示企画
江川邸では3~4か月に1回展示替えを行って、ミニ企画展を開催しています。
展示案内は本サイト内「
芸術家江川英龍」で検索して下さい。

'20.08.22江川家は地域で何1

伊豆市加殿小川家旧蔵史料

江戸時代、地域の人々は江川家のことを何と呼んでいたのでしょうか?
この史料は、当時、村長の役割をもつ名主だった人が書いた手紙です。そのなかに、①「韮山公」②「殿様」と書いています。このことから、江川家のことを「韮山公」とか「韮山様」「殿様」といっていたことがわかります。
 史料は、殿様が登城中で江戸に出かけていて不在であることを記したものです。史料を全部読むと、ここに記されている殿様は英龍公のことだとわかりました。

江川邸内大砲の場所1

江川文庫蔵「大砲鋳造絵巻」(部分)
史料の利用には使用料が必要です。お問い合わせは、江川文庫へお願いします。

江川邸内で青銅砲を造っていました。
韮山反射炉を築造する前、江川邸内で青銅砲を造っていました。天保13年(1842)英龍公は高島流砲術を広めるため、韮山塾を開きます。その塾で大砲製造の研究をします。諸藩からたくさんの注文を受けます。最初の注文者は老中水野忠邦でした。史料には「私差図で韮山屋敷の内」にて鋳造したことが書かれています。深さ1丈(約1m)、9尺(2m弱)四方の鋳型を入れる穴を掘るのでは、江川邸の庭は水が湧くので適さない、そこで、南北の米蔵がある裏の高台の角打ち場で鋳造したことが判明しました。

米蔵建設

江川邸内の米蔵建設

江川家は、江戸時代は代官でしたので米蔵が必要ありませんでした。明治になると地主になりました。当然、米蔵が必要になります。明治9年「硝石・焔硝払代金の内を以て御米蔵取建諸入用帳」という書類が作られています。このことから、江戸時代に火薬の原料となった硝石や焔硝が不要となり、三島の桔梗屋という薬屋に引き取ってもらいました。その代金で今ある米蔵を建てたことがわかります。この硝石・焔硝を入れていた蔵は龍城山にありました。因みに桔梗屋は児童文学者の小出省吾の家です。

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